ゆるゆるてくてくこつこつ

中学受験の反省とゆるゆるの日々の記録。いまいち理解できない男子を、1歩離れたところから見守りたいと思いつつ。

赤ちゃんのゆる息子を生かさなきゃいけないと思ってました

お題「しなきゃ」

初の育児、生かさなきゃというか死なせないようにしなきゃ

って思い込んでましたね~。

14年ほど前の寒い季節に息子が生まれました

PM11:30頃に生まれたからか、歩けずに車いすで部屋に戻されたからか、「授乳は丸一日休んでからね。」ということで次の日は1日何もせず寝て過ごしました。

そして次の日から母乳&ミルクでの授乳の日々。勝手に母乳がバンバン出ると思い込んでいたので「母乳出てないわね。ミルク足しましょう。」と授乳室で言われ、びっくりしました。

おまけに数日すると乳首が切れてメチャクチャ痛い。息子に吸われるのが怖い。毛が逆立ちました・・・。
最初は必死で母乳を飲ませ、もう出てない~、となるとミルク。

ぼろぼろぼさぼさの頭で、「何で出ないんだ??」疑問だらけ。

そうこうしているうちに一族仲良すぎなあちら(義母)の親族がお祝い&息子を見に来るようになりました。義父母は毎日、義母の兄弟2ファミリーがそれぞれ1日、夫の兄家族も2日ほど。しまいには夫の大学時代の友達・後輩が男女入り乱れてやってきた。(正直〇意がわいた。あ、夫にです。)

 

退院すると外でよく話しかけられるように

散歩するようになると、外でよく女性に話しかけられるようになりました。
女の子と間違えられたり、兄弟を作ってあげないとかわいそう、とか言われるのは構わなかったんですが、でも「母乳?」はきつかった。

ミルクですと答えると、あら(あかちゃんが)かわいそう。

本当に聞く人っているんだとびっくりしましたが、気にしてないつもりでした。が、実際は体重が全然増えなかったのでメチャクチャ気にしました!

いつも乳児身体発育曲線のかなり下。体重を増やさなきゃいけない。でも飲まない。飲ませすぎると吐くしそもそも自分で哺乳瓶をどけてしまう。母乳だったら大丈夫だったんだろうか。

健診に行くのがきつかった。何できつかったのか、息子は元気だったのに。

 

赤ちゃんの為に掃除しなきゃ


臨月に引っ越し、出産前後、狂ったように掃除してました

赤ちゃんの為に綺麗にしてなくちゃいけない。

ホコリはダメ。床は毎日拭く。(床掃除をすると出産が楽になると聞いたのもある。でも16時間陣痛に苦しんでた最中、うそじゃん!!と思っていた。)

子供が生まれてからも、眠っている時に狂ったように掃除をしていました。

 


しなくなったのは息子が動くようになってから

実際掃除どころじゃありません。床を這いずり回り始めた時は床の汚れは気になりました。しかし、そのうちおしっこを床に漏らしたり、あれ?なんか黒い豆みたいなのが落ちてる、と拾ってみたらう〇ちだったり、諦めとともに掃除掃除掃除しなきゃというのは無くなりました。

一種のマタニティブルーだったんでしょうか。

マタニティブルーとはいえ、母乳はあまり出ないのに、いくら食べても胃が痛くならず・太らず、健康っていい!!食べるの楽し~~!!とバクバク食べていたのが、1年後、きっちり生理がはじまり、元の胃弱に戻った・・・。(産後1年、なぜかお肌がつるつるで足などにムダ毛が生えなかったのも元に戻った。)人間の体ってすごい。

 

お母さんと赤ちゃんの集まりに参加

多分、息子のことより私の様子を心配したんでしょう、地元の健康管理センターで、「発達が心配なら『親子の集まり』に参加しませんか?」と言われました。

参加してみると、お母さん方それぞれ赤ちゃんの小さな心配や悩みをかかえていましたが、よそのおうちの赤ちゃんを見ると、多少遅くたって大丈夫ですよ!健康じゃないですか!と思えました。

そして自分の息子にもそう思えるようになったんです。

月に1回、3歳の誕生日直前までかよいました。

 

体重は少ないけど、身長は伸びてるからともかく成長しているってこと。

生かさなきゃというより死なせないようにしなきゃという強迫観念のようなものは、部屋が散らかっても気にならなくなったころには消えていました。

 

そして今断捨離しなきゃまずいと、思っています。

 

考えてみると、生かさなきゃ死なないようにしなきゃというのはブルーになっていたための強迫観念で、どこかで「母乳じゃなきゃ」という古い既成概念に囚われていたってことでしょうか。※念のため、ミルクがだめということではありません。授乳を夫や息子の祖父母義祖父母に任せられるのもよくて、大活躍でした。ただ体重が増えない悩みをこじらせていました。