ゆるゆるてくてくこつこつ

中学受験の反省とゆるゆるの日々の記録。いまいち理解できない男子を、1歩離れたところから見守りたいと思いつつ。

カボチャで思い出したことなど

ごはんの思い出、カボチャの煮ものぐちゃぐちゃご飯

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今日はハロウィンでしたね。でも夫は出張で、息子と2人だったので特にハロウィンっぽい食事も用意せず、味気ない気がしなくもない。


皆さんのブログを徘徊してハロウィンを楽しませていただきました。


ハロウィンといえばカボチャですが、我が家は母(今日はここからで)以外、余りカボチャを食べません。夫も息子も煮物なんて一切れ食べればおしまいです。仕方がないので残りは次の日カボチャサラダにしています。

※だから煮物はたくさん作れない。大体『作り置き』できるおかずはあまり食べてもらえない。

 


なんてカボチャのことを考え考えしてたんですが、カボチャで思い出したことがあるんです。

 

私の父とカボチャ

私が小さい頃、と言っても小学生くらいまでかな。カボチャの煮物が食卓に出ると父が私に言うんですよ。「ほら、茶碗貸せ」って。私のご飯茶碗です。


で、ご飯茶碗を渡すと、かぼちゃの煮物をご飯の上に乗せ、カボチャをつぶしてご飯と混ぜるんですよ。ぐちゃぐちゃっと。


で、私に「ほい。」と返す。私は「ありがとう。」と受け取ってそのカボチャぐちゃぐちゃご飯を食べる。

私には兄弟がいますが父がそんなことをするのは私にだけ。兄と弟もあまりカボチャを食べないからかもしれません。


小学生になってからは、(カボチャは好きだけど別に混ぜなくてもいいのに。)と内心思ってました。私にとって父はちょっと怖い存在だったので言いませんでしたが。


そんな父も私の息子の小学校入学式直前に他界しました。他人行儀に過ごしていたわりに、私は息子が小学校を卒業するくらいまで本当の意味では父の死から立ち直れませんでした。


で、最近カボチャのことを考えていてふと思ったんですよね。今思うと、あれもともとは離乳食だったんじゃないかなあって。

 

食が細い子供だったけどカボチャの煮物は好きだった

私、これでも昔はガリガリでご飯を食べない子供(赤ん坊)だったんです。


父は家事なんてほとんどしませんでしたが、赤ん坊だった私にそんな簡単な離乳食を作って食べさせてくれたんじゃないかなと。


いつからそのカボチャぐちゃぐちゃご飯を私に作らなくなったのかは覚えていませんが、高校生くらいまではたまーーーーに自分で作ってました。

 

父とドリア

その高校生の時に一度だけ父と2人だけで外食したことがあります。学校帰りだったので今思うとセーラー服のまま、父は会社帰りでスーツ。


で、当時住んでした栃木県の小山駅の小さな洋食屋のようなところに入ったんです。今もあるかどうかはわからないけど。


そこで父がドリアを頼んで私は内心メッチャクチャ驚きました。そんな(ハイカラな)もん食べてるところ見たことない!!!(言えなかったけど。)


なんたって食事は黙って食べなさい!という昭和の家庭だったし、父は私にとって少々怖い存在だったので。(でも思春期だったからかも。大人になってからはもっと打ち解けた関係になりました。)

 

もっと喋っておけばよかったなあと今は思います

でもなんだかできなかった。いま、息子と2人でご飯を食べるとき、息子はよくしゃべります。


今日は息子は学校が休みだったので、昼食は息子のリクエストでケンタッキーに行きました。


バランス悪い写真💦


父と2人で洋食屋さんに入った時はちょっと緊張してちょっと億劫でちょっと恥ずかしかったものですが、息子は今のところ、私と2人でも恥ずかしがらないし緊張もしてないはず。億劫かどうかはわかりません


息子は小さい時とーっても少食だったので、父(息子にとっては祖父ですね)と外食はしませんでしたが、今だったら行けたなあ。


息子がいるから私も緊張しなくて済んだはずだし、ちょっと残念です。